農業県から工業県への発展を目指して
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水島コンビナートの空撮
出典:岡山県
水島コンビナートがある水島地区は、戦前、漁業と干拓農業を主とする農漁村でした。岡山県は、工場を誘致することで、“農業県から工業県への脱皮”を図るため、1943年(昭和18年)に、三菱重工業㈱水島航空機製作所を誘致しました。これが、現在のコンビナートの始まりといわれています。
戦後、1953年(昭和28年)、岡山県は大型船舶の入港を可能にするために、航路泊地の浚渫に着手し、発生する浚渫土砂で海面を埋め立てて工場用地を造成しました。
水島コンビナートの総面積は2,549ヘクタールで倉敷市の総面積の約7%にあたります。
東京ドームが545個、サッカー場が3,570面が作れる広さです。