知っていますか?水島コンビナート知っていますか?水島コンビナート

水島コンビナートは干拓と埋立てで生まれた

  • 水島コンビナートの空撮

    水島コンビナートの空撮 出典:岡山県

 現在の倉敷市の地名に「島」「沖」「浜」「船」など海にちなんだもの地名や、「新田」といった干拓にちなんだ地名があるのは、倉敷市が瀬戸内海の干拓・埋立てにより大きく広がったためです。
 1584年(天正12年)に宇喜多秀家による高梁川河口潮止め堤防の築造が進められ、1600年代前半には高梁川の干拓が進み、児島と陸続きになったとされています。
 水島コンビナートは、1907年(明治40年)からの高梁川の改修(高梁川を市の中心部から現在の位置に変更)とその後の水島港の整備、その浚渫土による埋立てによってできた地域を中心に形成されています。
<用語解説>
浚渫(しゅんせつ):水深を深くするために海底・河床などの土砂を掘削すること
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